「大したことない」という論理

南京事件論争でも、従軍慰安婦論争でもその全てを否定し「一切なかった」と主張する人は肯定派の中でも割と少数派である。

仮にいたとしても肯定派との論争を経るうちに、その9割5分ほどは「多少はあったが大したことはない」に主張を後退させる(残り1分は肯定派に転ずる人であり、残り4分は全ての史料・証言を陰謀論で片付ける人=俺は信じない!と主張する人である)。従ってそのほとんどは「大したことない」論者であると見てよい。


南京事件における「大したことない論」のパターンは

・民間人が30万人殺されていなければ大したことはない
・犠牲者数が30万人でなければ大したことはない
・戦意を失った敗残兵を皆殺しにするのは大したことはない
・捕虜になった兵士を殺害するのは大したことはない
・兵民分離をきちん出来ないのは戦時なので仕方がない(大したことはない)

といったものがある。


従軍慰安婦論争においても

・二十万人の慰安婦が強制的に拉致・連行されていなければ大したことはない
・劣悪な労働条件でもお金を払っているのだから「性奴隷」ではないので大したことはない
・他の国でも軍事作戦に伴う慰安所が存在したことがあるから大したことはない
・強姦は発生するものだからそれを防止する為には仕方がない
・現在でも債務奴隷が現実としてあるのだから大したことではない


といったものがある。


さて書いていて奇妙な気分になったのだが、これらを主張する人たちはこの論理でもって本当に国際社会の「情報戦」とやらを勝ち抜くことが出来ると思っているのだろうか?というか他国の卑しくも「公職」に就いている議員たちが、本心はどうかは知らないが、建前上(「PC」というやつです)「人権侵害があっても大したことはない」などという主張に同意できるわけがないだろう。その主張を聞かされれば「それは悪質な開き直り」と言わざるを得ない=更に批判が増すに決まっている。


ここでクリアに反論する=情報戦で完全に優位に立つ手段があるとしたらたった一つだけ。

南京攻略戦、日本が設置した慰安所においては「不法行為」・「人権侵害」は一切無かったと言うしかないのである。別の言い方をすれば「大したことない」というロジックを一切介在させずに議論を組み立てるしかない。


だがこの最後の手段の唯一にして最大の欠点は、そのような議論が成立する可能性がゼロだということである。

韓国が個人補償請求するなら日本も在韓資産返還請求できる?

日本と韓国はお互いにバーターで個人補償請求を放棄しあったわけではない(この点については後述)。


嫌韓流」など歴史修正主義者は都合の悪いことを省略して議論する癖があるのだが、日本の財産を接収したのは韓国ではなく米軍である。1945年12月6日「米軍政法令第33号」が韓国に公布され同年9月25日付けで一切の日本の在韓資産はアメリカ軍政庁の所有に移された。そしてその後大韓民国成立後米韓の間で「米韓間の財政及び財産に関する協定」が結ばれこの協定によってこれらの財産が、韓国政府に委譲された。そして日本はサンフランシスコ講和会議でこの一連の処理の効力を既に認めてしまっているのである(第4条のb)。


しかし日本は韓国との交渉にあたり、この処理に対して異議を唱えて賠償交渉を有利に運ぼうとした(薄々無理筋とは自覚していたようだが)。


が、結局以下の経緯で、抵抗むなしくその異議の撤回を余儀なくされる。


まず日本の抗議に対し韓国が国連総会に書簡を発送し「サンフランシスコ講和条約第4条のb」の解釈を求めた。すると同条約の起草に主導権を握っていたアメリ国務省から日本は韓国に対して有効な財産権を主張できないと釘を刺された(1952年5月15日)。

また1957年12月には再度両国にアメリカ政府の同条約同条項に関する解釈=既になされたものと変わらぬ解釈が伝達された。そして結局同年日本はそれを受け入れたのである。


要するに日本は日韓基本条約ではなく既にサンフランシスコ条約で在韓財産に関する請求権を放棄している、というところがポイントである。日韓基本条約締結時には「バーター」など成立していないのである。


さてもう一つ平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁を示しておく。

いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。

日本はここで日本国民による個人請求権は消滅させていないと言っているかのように見える。しかし例えば在韓資産を持っていた日本人が韓国政府に返還要求をすることは法的に不可能だろう。まず第一に接収したのはアメリカ軍であるということ(公有・私有問わず)。そしてそれを日本がサンフランシスコ条約で承認してしまっているからである。つまり求償請求の宛先は日本政府しかありえないと思われる。


一方韓国はそうではない。日本に対して個人請求は可能なのである(日本政府もそう認めている!)。もちろん日本の裁判所で認められるかどうかは別問題だが。


というわけで結論。
韓国人が個人補償請求をしてくるなら、日韓条約を破棄して日本も在韓資産返還請求をしよう(得するのは日本で困るのは韓国)とか言ってる人たちは「売国奴」なので注意しましょう。日韓条約を破棄しても日本人の韓国政府に対する在韓資産請求権は生じません。日韓条約は死守すべきなのです(笑)

その他の参考になるサイト
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10057809478.html(誰かの妄想)
http://www.han.org/a/half-moon/hm060.html#No.386(半月上通信)

マイク・ホンダ議員の活動と「ロビイング」について

ホンダ氏は中国ロビーからの献金が多いので、その意を受けて慰安婦問題の追及を行っているという人がいる。本当だろうか?

http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070315/chn070315001.htm

によると中国系の団体が献金をしているのは確かなようだ。が、一つ興味深いことがある。

慰安婦問題は表面的には中国よりも韓国がより多く関与するようにみえるが、米国側で韓国寄りとしては「ワシントン慰安婦連合」という組織があるだけで、韓国系勢力の組織的な動きはほとんどうかがわれない。

のである。彼が中国系のロビーの意を受けてその「操り人形」と化しているのなら何故彼は「女性基金」を評価するのだろうか?

私は、アジア女性基金を通じて慰安婦生存者に金銭的賠償を行おうとした日本の努力を評価しております。アジア女性基金とは政府によって着手され資金の多くを政府に負う民間基金であり、その目的は「慰安婦」に対する償いをねらいとしてプログラムやプロジェクトを実行することでありました。アジア女性基金は2007年3月31日をもって解散することとなっています。私は、アジア女性基金が重要であったということには同意しますが、現実は、大多数の慰安婦生存者がこれらの資金の受け取りを拒否したということであり、日本政府からの、疑いの余地も曖昧さもない謝罪がなければ、その金は彼女たちにとって意味を成さなかったということなのです。

http://www.wam-peace.org/main/modules/news/dl/070131honda.pdf

ここで彼は「アジア女性基金」を高く評価し、それが意味を為すためにも真摯な謝罪をと言っている。が、ここで彼が明らかに念頭においているのは韓国人被害者であって、中国人被害者ではない。というのも、「女性基金」に関しては中国人被害者は全く受け取っていないからである。従って「総理からの謝罪の手紙」も受け取っていない。彼が提出した「アメリカ下院決議案121号(2007年)」にも「女性基金」についての高い評価のみがあり、中国人被害女性に補償がなされていないことは書かれていない。しかし中国ロビーの影響が強く、彼らの意を受けてこの問題に取り組んでいるとするならば、中国人被害女性の補償問題に言及しないのは非常に不自然である。

私が思うに、ホンダ氏が中国系のロビー団体から献金を受けているのは確かだが、この問題については特に彼らからレクチャーを受けたりその意を受けたりということは無いのではないか。

河野談話はどのような経緯で発表されたか(まとめ)

私が検討してみたところ、裏取引と言えるようなものは石原信雄氏や河野洋平氏など河野談話発表時の関係者が述べているように「存在しない」と言ってよい。もちろん石原氏や河野氏に何の政治的思惑も無かったと言うわけではない。そもそもこの言い方はナンセンスである。およそあらゆる政治的行為には何らかの政治的思惑が存在するからである。しかし「具体的な何かと引き換えに(特に韓国が国家補償を要求しないという条件とバーターで)」発表したということは無い。その根拠を以下に述べる。

(1)石原氏も河野氏もこの談話の内容自体は正しいと思っている。
・石原氏

「証言を基に内閣の総意として判断したが、彼女たちが作り話をしているとは思えない」
魚拓

河野氏

私は「官房長官談話」を出すにあたって、そんなあやふやな状況下で出したつもりはないんです。これはその当時の調査、その当時の様々な……。あの当時、時間的な問題ももちろんあったかもしれません。「もっと慎重にやれ」という人もあったかもしれませんが、私は少なくともずーっと調査を重ねていって、あの時点で、これは「官房長官談話」に書きました意味において、私は「『強制性』は認められる」と言って憚らないという最終的な判断をいたしました。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070327/p1

(2)石原氏は取引があったことを否定している。

(「韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある」という質問に対して)それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。
(1997年03月09日 産経新聞

(3)日本は自発的に「お金」の問題を持ち出している。

(A)日本は1992年7月6日に従軍慰安婦問題について「第一次調査」の結果を公表している(政府の関与を公式に認めたが、強制連行を立証する資料は発見されなかった)が、ここでもう既に「補償に代わる措置」の検討を「自ら」発表している。
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/databox/nenpyo.htm
(B)河野談話発表(1993年8月4日)後、日本政府の立場は、五十嵐広三氏(村山政権時の官房長官)によれば「河野談話を受けて「お詫びと反省の気持ちをどのように表すかを検討中」というものだった。これは(A)の「補償に代わる措置の検討」という立場の踏襲である。そしてその結果村山内閣の時に「アジア女性基金」が発足するのだが、これは運営費、事務経費などは国が持つ「半官半民」の基金であり、また寄附が足りなかった場合は国が不足分を補うということまで(発足当初に)決まっていた。
(『「慰安婦」問題とアジア女性基金東信堂 参照)


以上のように(A)(B)をあわせて考えれば河野談話発表の検討段階に「以後お金の問題は韓国政府に対して主張して欲しい」という条件を日本政府が韓国政府に出したということは考えられない。

(4)韓国政府もお金の問題は重要視していなかった。
これも五十嵐氏の証言によると

(1992年当時の盧泰愚政権の外務部の担当者だけでなく、金泳三氏、金大中氏も国家補償については消極的だったか?という問いに)消極的というよりお話の中心は徹底した事実の追求と謝罪、歴史教育に重点が置かれていました。補償によって過ちを隠すことがあってはならないということでしょう。
(『「慰安婦」問題とアジア女性基金東信堂 参照)

というわけで結論としてはやはり石原信雄氏の発言の通り「お金の問題は当時無かった」ということになる。河野談話の成り立ちにおいて特に「密約」などといったものはない。事情をよく知らない櫻井よしこ櫻井よしこ「密約外交の代償」「文塾春秋」平成9年4月)が「密約」だのなんだのと「邪推しただけ」の話である。

…と思ったら最近、櫻井よしこはこんなことを言い出したようだ。

河野談話の不名誉の第二は、慰安婦の女性たちの「名誉」を尊重するために強制を認めてほしいとの韓国政府の強い要請に、なんの担保も取らず応じたこと。つまり国益なき外交だったことだ。
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/03/post_508.html

「なんの担保も取らず応じた」…へえ。「密約外交」とか言ってたのあれ何だったの?

取り急ぎ御連絡まで

引越しがありまして、ネットが開通するのが遅れています。
開通するのはまだもう少し先になりますが機を見て再開したいと思います。

id:nagaikazu様、id:noharra様には御迷惑をお掛けしました。
掲示板でコメントの整理までして頂いて、申し訳ございませんでした。
掲示板には参加させて頂きたいと思います。

ではよろしくお願いします。

日本と韓国の間には具体的な取引は存在しない。

簡単に反論しておく。
http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070406/1175824901#c1176254978

石原信雄氏はebizoh氏が引用した産経の記事で

韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある
 「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。」

と答えている。日韓両国にお金の問題はなかったのである。五十嵐氏の発言と合わせても「全く考慮されていない」とほぼ断言していいのではないかと思う。

さて私が提起した「そもそも日本は何とバーターに河野談話を発表したのか」という問題だがこれに対しては「お金の話ではない」というのが資料から分かったことだった。日本は民間基金の設立に当たって運営資金を出し、政府主体の公共事業も用意し、そして寄附が不足であれば政府が補うとしたのである。もちろんこれはebizoh氏が指摘するように、政府の建前上は法的補償ではない。しかし実質的に政府が金を払おうとしていることに変わりはない。河野談話を検討している際に「お金の問題を最終決着させて、あとは慰安婦には韓国政府に全て請求しろというようにしてほしい」と日本が韓国政府に要求したと仮定すると、これは明らかに矛盾した話になってしまう。

ebizoh氏は「基金は道義的補償である以上、少なくともどれだけ高額になるか分からない法的国家賠償はしないという金泳三大統領から得た言質は手放していない。」

と主張するがこれも奇妙な話である。不足した分は政府が補うと決まったときには、まずどのくらい寄付金が集まるのかもどれだけの被害者にどれだけ支払うべきかも全くもって不明だったからである。「どれだけ高額になるかになるか分からない」のは女性基金も同じである。いや、民間基金が政府主導でなく、民間基金の尻拭いをしなければならないという意味では、自分の手を離れた連帯保証であり相当腹を括った話であるといえる。(政府との交渉は自らが主体となるので例えばある程度値切ることも可能だが)。

以上より日本は河野談話検討時にお金の問題を持ち出したというのは、日本が非合理的なプレイヤーであることを仮定しなければありえないといえる。

ちなみにebizoh氏は「日本が非合理的なプレイヤーだ」ということについて肯定的なようだがそれを言い出すといくらでも矛盾した信念を日本に帰属できるので、議論自体がめちゃくちゃになってしまう。日本が「お金を問題にし相手にそれを呑ませておいて、そのすぐ直後に自分からお金を支払うと言い出した」という非合理なプレイヤーという仮定は、矛盾した推論からはあらゆる命題が帰結するという論理学の常識と同じで、ナンセンスな仮定であるといわざるを得ない。

韓国政府の慰安婦問題に対する考え方

http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070321/1175282909#c1175648843

『強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館など
の意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ』
日本側は、宮沢首相の了承下で、慰安婦問題を収めるために強制性を認めたこと
を明言されています。

さて私はここで問題は「問題を収める」の「問題」の意味であるということを尋ねたがそのところは資料検索できなかったらしくebizoh氏には曖昧にされた。というわけで、私が当時何が「問題」になっていたのかの資料を提示しよう。

社会党で村山内閣時の官房長官、1992年から調査団を結成し慰安婦問題に関わってきた五十嵐広三氏の証言である。

92年に訪韓しました折り、それぞれから色々なお話がありましたが、韓国政府(引用者註:当時は盧泰愚政権)、野党を含めた各政党の共通した強い意見は、まず第一に徹底した事実の調査、それに基づく誠実な謝罪、第三に、二度と繰り返さない為の歴史教育、この三点にポイントがありまして、政府や政党は、まず真実の究明こそ重要で補償問題はそのあとだ、ということでした。

韓国が求めていた中で「補償問題」の優先順位は最も低かった(或いはこの段階では考慮外だった)ことが分かる。

(当時の盧泰愚政権の外務部の担当者だけでなく、金泳三氏、金大中氏も国家補償については消極的だったか?という問いに)消極的というよりお話の中心は徹底した事実の追求と謝罪、歴史教育に重点が置かれていました。補償によって過ちを隠すことがあってはならないということでしょう。

安易に「補償」問題を絡めてしまうと、慰安婦問題の真の解決の妨げになるとすら考えていたということが窺える。

さてこの流れからすると、河野談話を協議している段階ではそもそも韓国政府は補償問題など眼中になかったのである。彼らは日本には事実の解明と明確な謝罪、歴史教育しか求めてこなかったのである。とすれば石原氏が「問題が解決する」と考え宮沢氏が了承したという時の「問題」とは、このとき全く考慮されていなかった「国家による個人補償」の問題ではありえない。考慮されていなかったことを宮沢氏が「了解する」ということもありえない。

つまりここでは河野談話成立時には法的責任に関わる法的な問題は「そもそも」斟酌されていない。斟酌されていないのに、取引だのバーターだのが存在したということはありえない。

仮に百歩譲って石原氏の発言を政府の総意と解釈したとしても、石原氏が「善意で(これは彼の主観に過ぎないが)」という言葉を用いたのは、それが別に経済的実質を伴った取引だったわけではなく、隣国との関係悪化を懸念して(関係の改善を考えて)、事実認定を行ったと文字通りにとるべきだろう。つまり仮にバーターと呼びうるものがあるとしても日本が得ようとした(石原氏が得られると考えた)のは「隣国との関係改善」という抽象的な利益ただそれだけである。つまり櫻井氏が邪推するようないわゆる「密約」というようなものではなかったわけである。そして法的な問題はそもそも全く考慮されていないのだから、事実認定も法的な基準に沿わなければならない理由はないわけだ。

さてちなみに河野談話に関して河野氏が繰り返し、事実認識として正しいとしていることはもう一度繰り返させて頂く。

さて仮にここで日本が勝手に河野談話を修正したらどうなるか?ということはまあ繰り返しになるので終わりにしておこう。