チベット問題と人権問題

それにしても3年半前にあれだけ「スポーツと政治を切り離して観戦せよ」と中国の人たちに説教をかましていた人たちが、今度はチベットの問題で「オリンピックのボイコット」を匂わせるとはね。まあ2004年の時も「中国へのODAを停止せよ」とか言っている人たちもいたわけだから、もともと「スポーツと政治の分離」についてなんて真剣に考えたことがなくて、中国批判で噴き上がりたいがための尤もらしい口実にすぎなかったんでしょうけれども。


それにしてもチベットに関する中国の主張を見ていると、日本の保守派が日本の植民地政策・日中戦争に関して主張していたことと大枠でくくればそっくりに見える。ダライ・ラマ蒋介石を入れ替えても成り立つような感じだし、あるいは(中国はチベットにそれなりの投資をして近代化を図っているわけだけれども)「日本は植民地に良いことをしてあげた論」とかもそう。


もしチベット問題に憤りを感じるならそういった自論がいかに機会主義的なものか自覚しても良さそうなものだけど。そういうところに忸怩たるものを感じることなく、さらには「オリンピックボイコット」でしょう。


それどころか「サヨク人権派(特に日本軍の戦争犯罪に批判的な人たち)がこういう時に声をあげなければ自分たちは信用しない」と言う人たちまでいるようです。ちなみにサヨク人権派チベット問題に関して中国の側に立っているという事実はないと思うのですけれど。


それよりなによりこのセリフは何でしょうか?「ウヨク」の人たちは「サヨク人権派」の人たちなど元々信用していませんからこのようなセリフを口にする必要は特にありません(別にしてもいいですけど)。ですのでこの「自分たち」は誰かといえば、主に「サヨクでもウヨクでもない」と「自己規定」する人たち、いわゆる「自称中道」の人たちなわけです。つまり「自分はウヨクでもサヨクでもない中立的な立場だけれども、チベット問題が起きた時に声を上げないサヨクは信用できない→だからサヨクは口先で人権を唱えながら単なる親中派の偽善者だ」と批判しているわけです。


ところが人権問題はかつても今も至る所で起きています。でも日本の人権派が主として「批判の対象としているもの」とチベットの問題がなぜ「同時に」リンクしていなければならないのかという「必然性」に関しては全く明らかにされません。「人権派を名乗るなら〜をリンクさせなければ信用しない」の「〜」にはそれこそ無数の人権侵害事例が代入されうるわけです。そこで「あえて」チベット問題、もっと言えば「中国による人権侵害事例」をリンクさせなければ「信用しない」とする主張は特定の事例にコミットしている以上、「中立」の態度とは程遠いものです(まあ「自称中立・中道」なので仕方がないかもしれませんが)。


要するに中国にも抗議する姿勢を見せなければ=親中でないという「証」を立てなければ自分は信用しない、というこの手の主張は逆に言えば「自分が反中である」という政治性を立派に表明していることにほかなりません。何のことはない「反中である自分を信用させろ」という話なわけです。「反中・中国=敵というのが中立なスタンスだ」ということなら何も申し上げることはございませんが、私はなんでそんな人を信用させる為にチベット問題を取り上げなければ「ならない」のか全く理解に苦しみますね。


まあ「取り上げなければ信用しない」といきり立つ人の数がそれほど多いとも思いませんし、放置して生温く見守って差し上げれば良いのではないでしょうか。