河野談話はどのような経緯で発表されたか(まとめ)

私が検討してみたところ、裏取引と言えるようなものは石原信雄氏や河野洋平氏など河野談話発表時の関係者が述べているように「存在しない」と言ってよい。もちろん石原氏や河野氏に何の政治的思惑も無かったと言うわけではない。そもそもこの言い方はナンセンスである。およそあらゆる政治的行為には何らかの政治的思惑が存在するからである。しかし「具体的な何かと引き換えに(特に韓国が国家補償を要求しないという条件とバーターで)」発表したということは無い。その根拠を以下に述べる。

(1)石原氏も河野氏もこの談話の内容自体は正しいと思っている。
・石原氏

「証言を基に内閣の総意として判断したが、彼女たちが作り話をしているとは思えない」
魚拓

河野氏

私は「官房長官談話」を出すにあたって、そんなあやふやな状況下で出したつもりはないんです。これはその当時の調査、その当時の様々な……。あの当時、時間的な問題ももちろんあったかもしれません。「もっと慎重にやれ」という人もあったかもしれませんが、私は少なくともずーっと調査を重ねていって、あの時点で、これは「官房長官談話」に書きました意味において、私は「『強制性』は認められる」と言って憚らないという最終的な判断をいたしました。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070327/p1

(2)石原氏は取引があったことを否定している。

(「韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある」という質問に対して)それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。
(1997年03月09日 産経新聞

(3)日本は自発的に「お金」の問題を持ち出している。

(A)日本は1992年7月6日に従軍慰安婦問題について「第一次調査」の結果を公表している(政府の関与を公式に認めたが、強制連行を立証する資料は発見されなかった)が、ここでもう既に「補償に代わる措置」の検討を「自ら」発表している。
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/databox/nenpyo.htm
(B)河野談話発表(1993年8月4日)後、日本政府の立場は、五十嵐広三氏(村山政権時の官房長官)によれば「河野談話を受けて「お詫びと反省の気持ちをどのように表すかを検討中」というものだった。これは(A)の「補償に代わる措置の検討」という立場の踏襲である。そしてその結果村山内閣の時に「アジア女性基金」が発足するのだが、これは運営費、事務経費などは国が持つ「半官半民」の基金であり、また寄附が足りなかった場合は国が不足分を補うということまで(発足当初に)決まっていた。
(『「慰安婦」問題とアジア女性基金東信堂 参照)


以上のように(A)(B)をあわせて考えれば河野談話発表の検討段階に「以後お金の問題は韓国政府に対して主張して欲しい」という条件を日本政府が韓国政府に出したということは考えられない。

(4)韓国政府もお金の問題は重要視していなかった。
これも五十嵐氏の証言によると

(1992年当時の盧泰愚政権の外務部の担当者だけでなく、金泳三氏、金大中氏も国家補償については消極的だったか?という問いに)消極的というよりお話の中心は徹底した事実の追求と謝罪、歴史教育に重点が置かれていました。補償によって過ちを隠すことがあってはならないということでしょう。
(『「慰安婦」問題とアジア女性基金東信堂 参照)

というわけで結論としてはやはり石原信雄氏の発言の通り「お金の問題は当時無かった」ということになる。河野談話の成り立ちにおいて特に「密約」などといったものはない。事情をよく知らない櫻井よしこ櫻井よしこ「密約外交の代償」「文塾春秋」平成9年4月)が「密約」だのなんだのと「邪推しただけ」の話である。

…と思ったら最近、櫻井よしこはこんなことを言い出したようだ。

河野談話の不名誉の第二は、慰安婦の女性たちの「名誉」を尊重するために強制を認めてほしいとの韓国政府の強い要請に、なんの担保も取らず応じたこと。つまり国益なき外交だったことだ。
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/03/post_508.html

「なんの担保も取らず応じた」…へえ。「密約外交」とか言ってたのあれ何だったの?