軍は主体的に関与したか?

さて主体的に関与していなかったかどうか?
という議論についてまず私は
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html
を示した。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070310
この論文を示された時の一読者氏のレスは笑わせるものであった。

現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。それなら日本の公安委員会や、世界各国で同様の業務をしている国家機関は皆売春業の主体ですか?そんなバカなことはありません。

さて一体なぜ公安委員会が風俗営業者を規制しなければならないのかが意味不明である。警察ならまだ分かるが。おそらく狼狽して興奮してしまったのだろう。感情的になることへの愚かさを身をもって示してくれる香ばしいコメントである。(ここの部分は間違いですので訂正いたします)

さてこれに対する私のコメントは
「なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。」
というものだった。風俗営業は規制されているが、行政の業務の一環として組み込まれたことなどないし、規制する当局自らが利用する為に風俗施設を開設し、業者に請け負わせて、そこで働く女性を斡旋させるなどということはない。このような明らかな差異を彼は見て見ぬふりをし、そして逃げる。

まあ、この点は、解釈の相違ですね。軍が請け負わせたといえるか、主体的に業者を通じて売春婦を募集したといえるか、あなたと私では解釈が違うんだからしょうがない。

失笑ものである。そのことを論証しているのが上で示した永井論文である。これはそれに一言も具体的に反論せずに「私はそう思わない」ともはや信仰告白をしているに等しい。

次に「ゆーき」氏からコメントが入る。

国家による消極的関与と積極的関与は別物でしょう。

これは私のコメントを短く言い換えたものである。すると彼はまずこう逃げる。

1、消極的関与・・・現在の公安委員会など
2、積極的関与その1・・・売春婦的実態の軍慰安婦制度(ベトナム戦争時のものなど)
3、積極的関与その2・・・性奴隷的実態の軍慰安婦制度
私が上記サイトを読んで感じたのは、現在の主な論争が2と3の論争であることを前提に、3の立場を論証しようとしているが、十分には成功していないということですね。

ちなみにここでもしつこく「公安委員会」が繰り返されている。ここまでくると彼は本物の天然であるようだ。(この部分は間違いですので訂正いたします)また彼は全くこの論文の主旨を読解出来ていない。この論文の構成は非常に明快なのにもかかわらず、である。端的に言えばこの論文の目的は

結論を先回りして言えば、問題の警保局長通牒は、軍の依頼を受けた業者による慰安婦の募集活動に疑念を発した地方警察に対して、慰安所開設は国家の方針であるとの内務省の意向を徹底し、警察の意思統一をはかることを目的と出されたものであり、慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書にほかならぬ、というのが私の解釈である。さらに、副官通牒は、そのような警察の措置に応じるべく、内務省の規制方針にそうよう慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けの指示文書であり、そもそもが「強制連行を業者がすることを禁じた」取締文書などではないのである。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html#SEC2

にある。これは「副官通牒」についての吉見の「誘拐まがいの方法で軍慰安婦を徴集する実態があったことを示す」という解釈は退けているものの、軍が主体的に関与・監督・統制していたという意味では吉見の解釈を補強するものなのである。どのように読めば「現在の主な論争が2と3の論争であることを前提に、3の立場を論証しようとしている」などとトンチンカンな読み方が出来るのか、知的能力を疑わせる。

気を取り直して私が「さてあなたが公安委員会(?)と風俗業者の関係とは違う、そして軍が積極的・主体的に関与したのだと認識を改めたということですね。」と畳み掛けると

いいえ。私は最初から上記2、の考えでした。
しかし、引用されたサイトの著者が十分に実証できていないのに3、と結論付けたのに過剰に反応して、つい1、と言い間違えただけです。

という意味不明な発言をし始めた。明白なすり替えである。最初から「軍が主体的に関与しているかどうか」が問題になっていてその根拠として永井論文を提示して見せたのに、「従軍慰安婦の実態は商行為か性奴隷か」が問題で私は「商行為」だという立場だと言い出したわけだ。まさに言い逃れそのものである。しかも

そして、私の考えでは、
1、国家に法的責任なし
2、国家に法的責任があるか無いかは行為当時の行為地の実効的法規範により決まる
3、国家に法的責任あり
です。
私は主体的関与という用語を、国家の法的責任を肯定しうるだけの関与という意味で使用しておりますが、あなた方はより広い意味の積極的関与を、それと同義と考えていることによる誤解ですね。

とまたよく分からないことを続けだした。歴史学者は少なくともそのような意味で「主体的関与」という言葉を使ったことはない。なぜなら「主体的関与」が示されて初めて法的責任の配分が決定するからだ。主体的関与が示されない、或いは関与していないのならそもそも法的責任など発生するはずもないではないか。もしかしてこの問題を扱う学者がしている「主体的な関与があるのならば法的責任が問われうる」という主張について、彼はそれが「法的責任があるならば法的責任がある」というトートロジーであるとでも思っていたのだろうか?

ちなみにそうすると常石氏のブログでの彼の問いは奇妙なことになる。再度引用しよう。

仮に違法な実態があったとしても、政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。

彼の言い方に従ってしまうと「政府や軍に法的責任がないのならばそれは業者の責任です」(当たり前)という極めてトリヴィアルで空疎な主張になってしまうのだ。法的責任があるかどうかを問う為に「主体的な関与があったかどうか(どのような関与であったか)」についての事実認定が存在するのだ。

つまりこれは明白に「すり替え」と「言い逃れ」と「そらとぼけ」であるか、そうでなければ彼はバカであるということを示している。後者であるとはあまり言いたくないので私は前者であると言っているが、彼は「言い方を間違えただけ」と空しい弁解を続けている。弁解は構わないのだが、それを文字通りに受け取ると最初に発した自らの主張が無意味なものになるということに気付いていないという点で彼は「重症」である。