韓国政府の慰安婦問題に対する考え方

http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070321/1175282909#c1175648843

『強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館など
の意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ』
日本側は、宮沢首相の了承下で、慰安婦問題を収めるために強制性を認めたこと
を明言されています。

さて私はここで問題は「問題を収める」の「問題」の意味であるということを尋ねたがそのところは資料検索できなかったらしくebizoh氏には曖昧にされた。というわけで、私が当時何が「問題」になっていたのかの資料を提示しよう。

社会党で村山内閣時の官房長官、1992年から調査団を結成し慰安婦問題に関わってきた五十嵐広三氏の証言である。

92年に訪韓しました折り、それぞれから色々なお話がありましたが、韓国政府(引用者註:当時は盧泰愚政権)、野党を含めた各政党の共通した強い意見は、まず第一に徹底した事実の調査、それに基づく誠実な謝罪、第三に、二度と繰り返さない為の歴史教育、この三点にポイントがありまして、政府や政党は、まず真実の究明こそ重要で補償問題はそのあとだ、ということでした。

韓国が求めていた中で「補償問題」の優先順位は最も低かった(或いはこの段階では考慮外だった)ことが分かる。

(当時の盧泰愚政権の外務部の担当者だけでなく、金泳三氏、金大中氏も国家補償については消極的だったか?という問いに)消極的というよりお話の中心は徹底した事実の追求と謝罪、歴史教育に重点が置かれていました。補償によって過ちを隠すことがあってはならないということでしょう。

安易に「補償」問題を絡めてしまうと、慰安婦問題の真の解決の妨げになるとすら考えていたということが窺える。

さてこの流れからすると、河野談話を協議している段階ではそもそも韓国政府は補償問題など眼中になかったのである。彼らは日本には事実の解明と明確な謝罪、歴史教育しか求めてこなかったのである。とすれば石原氏が「問題が解決する」と考え宮沢氏が了承したという時の「問題」とは、このとき全く考慮されていなかった「国家による個人補償」の問題ではありえない。考慮されていなかったことを宮沢氏が「了解する」ということもありえない。

つまりここでは河野談話成立時には法的責任に関わる法的な問題は「そもそも」斟酌されていない。斟酌されていないのに、取引だのバーターだのが存在したということはありえない。

仮に百歩譲って石原氏の発言を政府の総意と解釈したとしても、石原氏が「善意で(これは彼の主観に過ぎないが)」という言葉を用いたのは、それが別に経済的実質を伴った取引だったわけではなく、隣国との関係悪化を懸念して(関係の改善を考えて)、事実認定を行ったと文字通りにとるべきだろう。つまり仮にバーターと呼びうるものがあるとしても日本が得ようとした(石原氏が得られると考えた)のは「隣国との関係改善」という抽象的な利益ただそれだけである。つまり櫻井氏が邪推するようないわゆる「密約」というようなものではなかったわけである。そして法的な問題はそもそも全く考慮されていないのだから、事実認定も法的な基準に沿わなければならない理由はないわけだ。

さてちなみに河野談話に関して河野氏が繰り返し、事実認識として正しいとしていることはもう一度繰り返させて頂く。

さて仮にここで日本が勝手に河野談話を修正したらどうなるか?ということはまあ繰り返しになるので終わりにしておこう。